日常生活ブルータス川瀬敏郎ストリートフォト

『無私がゆえに花』

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BRUTUS(ブルータス) 2019年4/15号No.890[花と花束。]買いました。「花の名前を言える人はいいオトコ、いいオンナ。」というキャッチフレーズにやられた。

イイ女になりたい!!!

BRUTUS(ブルータス) 2019年 4月15日号 No.890 [花と花束。]【電子書籍】[ BRUTUS編集部 ]

とりあえずパラパラと目を通しているところですが印象的だったのが、当代随一の花人といわれる川瀬敏郎氏のお言葉。

本来の花とはアレンジしない行為

“花を生ける”ということと、“いけばは”はイコールではありません。流派の“いけばな”とは江戸時代に成立した“ジャパニーズ・フラワーアレンジメント”ですが、本来の花とは、アレンジしない行為なのです。

BRUTUS(ブルータス) 2019年4/15号No.890[花と花束。] P26

そもそも花は、それ自体が美しい。人間の手など介さずとも完成された美を形作っている。そういう自然体の美しい存在を、敢えて人間の手によって加工する意味合いというのが・・・

例えばこの雪割一華は、春を告げる“カミ”であり、宇宙の真ん中に存在しているような、清らかな存在なのです。その花が、人間をくぐり抜け、自然の中にあった時以上のものとして浄化され、鎮められる。花を生けるというのは、この国の哲学における根源的な行為、宗教行為にも近いものです。


BRUTUS(ブルータス) 2019年4/15号No.890[花と花束。] P27

なのであると。

分かるような分からないような…

無私がゆえに花

川瀬敏郎氏のお言葉は終始こんな感じで、分かるような分からないような、でもやっぱり今の私にはまだすっと落ちてこない。

すこーし、うっすら、なんとなく、分かるような気がするのが、「花一輪で、その人のすべてがわかってしまう」という部分。お茶にも通じるところがあるような気がするから。お茶の味にも、淹れ手の個性や精神性が出てくるというのと同じで。

最終的に、“私”というものをボーン、と投げ飛ばしてしまう行為が花なんです。個を超えていくから花、無私がゆえに花。


BRUTUS(ブルータス) 2019年4/15号No.890[花と花束。] P27

『無私がゆえに花』とは・・・?

やっぱり私にはまだまだ分からない境地だ

今の私が考えられることは、いかにしてお茶に自分の個性を表現することができるか。個性のないお茶はつまらないと思う。逆に淹れ手の人柄を感じられるお茶はどんなお茶も魅力的だと思う。

そういう“個性”を主張すること自体を全否定する『無私がゆえに花』の境地は、今私がいる場所よりもずっとずっと先にあるんだろうな。

それとも、自分の個性を否定するところからスタートするのか。どうやら能楽もそういう世界らしいし(まだ全然知らない世界だけど、齧り聞いた話として・・・)

流れるように生ける

雑誌を読み進めていく中で、片桐工敦氏と山の花を生けるというテーマのページがあった。その最後の言葉にもヒントがあるような気がした。

人や場からの呼びかけを受け、自分を触媒にして、余計なことは考えずに流れるようにして生けていく。花にはこんな楽しみ方もあった。

BRUTUS(ブルータス) 2019年4/15号No.890[花と花束。] P83

自然の中で自分の個性を主張するのではなく、その大きな存在の中に個性を埋没させることで見えてくる世界があるのかもしれない。それが花の世界なのかも。

予期せぬことを受け止める力

あともう一つ。ニューヨークの写真家ジョエル・マイロウィッツ氏へのインタビューの中で、氏がストリートフォトについて語っている部分。

ストリートフォトで肝心なのは、予期せぬことを受け止める力、そして運。路上では全身全霊で周囲にアンテナを巡らせる。探しているうちは何も見えてこない。色彩つまり花が目に飛び込んだと思っても、次の瞬間にはそこにない。

BRUTUS(ブルータス) 2019年4/15号No.890[花と花束。] P44

予期せぬことを受け止める力ってすごいなぁ、と。一瞬一瞬の一期一会。探しているうちは見つからない。見つけたと思ってもすぐにかき消えてしまう。

インタビュアーが「まるでギャンブルですね」と言っていたけどまさにその通りだと思う。自分の意志でどうにかしてやろう!という世界ではないんだなぁ。

“本物”になるとは?

川瀬敏郎氏の言葉、最後の締めくくりはこうだった。

出会ったことによって、思いもよらぬ世界へ、一瞬にして連れていかれるのが花ですから。誤解を恐れずに言うと、女性が花なんか習うよりも、いい男に騙された方がよほどいい勉強になりますよ。ためらい傷を残さず、死んだことすら気がつかないほど、見事に斬られてしまう。そういう体験をしないと“本物”になれないんです


BRUTUS(ブルータス) 2019年4/15号No.890[花と花束。] P27

男に騙されることの何によって“本物”に近づけるのかは分からないけど、でも一つだけ分かるのは、いろんな人生経験をしろってことなんだろうなと。感情を大きく揺さぶられるような経験を積み重ねてこそ、人間性は磨かれていくだろうと。

私の勝手な都合のいい解釈かもしれないけど

川瀬敏郎氏の言う“本物”とはいったいなんなんだろうか。。。

書籍もいつか読んでみたい。

この記事を書いた人
ゆえじ ちゃんこ

中国茶ナビゲーター
中国茶&台湾茶の楽しさや知識・情報をまとめてます。
生涯淹れ手。
福建、香港、日本を拠点においしいお茶のいれかた研究中。
茶藝パフォーマンスもやります!
中級茶藝師。東洋食薬ライセンス1級。

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