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『陰翳礼讃』が語る日本の美意識がかっこよすぎて震える

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谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』を読んだ感想です

覚えておきたい、グッとくる言葉が多すぎたので引用が多くなると思います。

『陰翳礼讃』とは

『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎(1886年-1965年)の随筆。1933~34年に雑誌で連載されていたものが1939年に単行本として刊行された。西洋のそれと対比しながら古き良き日本の芸術や美意識について語っている。現代の日本でも読み継がれているほか、戦後は翻訳されて海外の文化人にも影響を与えた。


書籍としてはいろんな形で出版されていますが、私が読んだのはこちら。

「気配を撮る名匠」と評される大川裕弘氏による美しい写真満載のビジュアルブック。2018年に発売されたばかり!

  • 陰翳礼讃
  • 谷崎潤一郎(著),大川裕弘(写真)
  • 単行本(ソフトカバー): 256ページ
  • 出版社: パイインターナショナル (2018/1/18)
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↑こちらのサイトでも『陰翳礼讃』の全文が公開されてます。

ざっくり感想

おじいさんが「昔はよかった・・・」と愚痴をこぼしているという話。ただ、その愚痴のこぼし方というか、着眼点や言葉の選び方がめちゃくちゃかっこいい。

この『陰翳礼讃』が執筆された1930年代の時点で既に失われつつあった古き良き日本文化、その美しさは21世紀を迎えた私たちの時代、日常生活の中ではほぼ完全に失われてしまっているものであり、現代の私たちにとってはもはやファンタジーの世界。

それでもこの随筆を読んでいて感じるのは非常にわかりみが深いこと!

少なくとも私は普通のマンションに住んでいて、部屋の窓にはカーテンがあって、ベッドで寝ていて、リビングにはテーブルとソファーがあって。日本ならではの畳も床の間も、障子も襖も何もない。漆の器も持ってない。

それでもこの『陰翳礼讃』で語られる昔ながらの日本の美しさは「なんか分かる!!」と感じるのです。

不思議な説得力

印象に残った部分を抜粋

※引用部分のマーカーは私が特に気に入った部分です

もしも東洋独自の文明が発達していたら

もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P43

この“もしも”の発想はいろんなところで考えられてきたと思うけど、着眼点がかっこいい。 “もしも東洋人が万年筆を発明していたらどうなっていたか”という着眼点。

仮りに万年筆と云うものを昔の日本人か支那人が考案したとしたならば、必ず穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう。そしてインキもあゝ云う青い色でなく、墨汁に近い液体にして、それが軸から毛の方へ滲み出るように工夫したであろう。さすれば、紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、大量生産で製造するとしても、和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが最も要求されたであろう。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P45

もしも東洋人が万年筆を発明していたら、古来から使い続けてきた筆や墨汁、和紙の延長上で発展してきただろうと。

確かに今でいう一般的なコピー用紙よりも半紙の方が手触りが良くてなじむ感じがする。“改良半紙”というものがどんなものか見てみたかったなぁ~。もしかしたら結局はコピー用紙と同じものになっていたかもしれないけども。

つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろいろな故障や不便が起っていると思われる。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P53

明治維新を経て富国強兵の名のもとに日本が選んだ道は西洋文明の輸入。その後の歴史を鑑みると、その選択は間違ってはいなかったと思う。でも一方で、長年培ってきた日本独自の文明の発展を放棄したことになると。それによる故障や不便というのは、文化や美意識との不一致

もし近代の医術が日本で成長したのであったら、病人を扱う設備や機械も、何とか日本座敷に調和するように考案されていたであろう。これもわれわれが借り物のために損をしている一つの例である。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P72

純和風の日本家屋に調和する医療設備があるとしたら・・・それは一体どんな風だったのか。谷崎潤一郎曰く、今の病院よりも、病人にとってはもう少し心が落ち着く居心地のいい場所になっていただろうと。ifの世界の話だからそれを見ることは叶わぬけれども、想像するのは楽しいかも。まさにファンタジーの世界。

和紙の持つ温もり

唐紙や和紙の肌理(きめ)を見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P65

この表現がたまらないですよね!「柔らかい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る」って!!日常的に和紙に触れる機会はとんとなくなってしまっていますが、それでもこの和紙の良さはなんとなく分かります。実感として。

確かにしっとりしてる。

漆器の魅力

私は中国茶を嗜む延長線上で陶磁器にもそれなりの興味があるのですが、漆器については今まで特になにも感じたことありませんでした。

それがこの文章によって漆器や金蒔絵に対するイメージががらりと変わったのです。

漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。
事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていい。今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P86

明るさのせい・・・!!漆器の魅力は、薄暗がりの中でこそ発揮されるのだとか。漆器の色は闇が堆積した色なんだと!

つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P87

漆器に描かれる金蒔絵も。現代の私たちが金蒔絵を目にする場所は、よく見えるようにと明るいところがほとんどだと思う。芸術的な作品であればあるどスポットライトが当てられて展示されている。

でも本当の魅力はそうじゃなくて、薄暗がりの中でわずかに蝋燭の光が当たる部分だけ妖艶に光る・・・そういうものなのかもしれない。その美しさはぜひ見てみたい。

私は或る茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが、いつもは何でもなくたべていたあのどろどろの赤土色をした汁が、覚束ない蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P102

暗がりの中で味噌汁飲んでみたい。確かに部屋の明るさ次第で味の感覚変わりそう。

日本家屋が生み出す陰翳の神秘

伝統的な日本家屋は西洋の家と比べて中が薄暗い。外の光が奥まで届かない。言われてみれば確かにそうかも・・・

日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないが、是非なくあゝなったのでもあろう。が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P113

西洋人は暗い部屋の中へいかに光を取り込むかを考え発展してきたが、東洋人は暗いなら暗いでそこに美を感じるようになったと。

確かに、ヨーロッパで見る古い教会はステンドグラスを通して光が差し込むようになってる。昼間は十分に明るい。そこに美しさがある。一方で日本のお寺は中が暗い。仏様の全体像ははっきりとは見えずに、ぼんやりとその存在を感じるだけ。

そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢はかない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P116

障子は光の強さを和らげる。真夏の直射日光も、ガラスだとそのまま室内に入ってくるけど、障子を通ると強い光もじんわりとした柔らかい光になる。“光がしんみり落ち着いて部屋に染み渡る”・・・その表現に優しさと温もりを感じる。

伊東温泉・東海館2階の一部屋

障子から差し込む光は確かに柔らかく感じる

尤も我等の座敷にも床の間と云うものがあって、掛け軸を飾り花を活けるが、しかしそれらの軸や花もそれ自体が装飾の役をしているよりも、陰翳に深みを添える方が主になっている。われらは一つの軸を掛けるにも、その軸物とその床の間の壁との調和、即ち「床うつり」を第一に貴ぶ。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P118

これが個人的にすごく、なるほどなぁ~と思った部分。私はまだ掛け軸のことは詳しくは知らないけども、煎茶道を習う中で掛け軸を鑑賞する機会はある。その中で、本紙の上下にある一文字も非常に重要であるという話を聞いたけど、その理由はいまいちピンとこなかった。

それは、床の間の壁や和室全体と調和するか否かという点において重要なのかもしれない。本当のところはまだよく分からないけども。

われらは落懸おとしがけのうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填うめている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ無気味な静かさを指すのであろう。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P130

日本人は暗がりの中に「そこに何かがあるかもしれない」という神秘や趣を感じる。もし部屋中に光が生きわたって影という影がなくなってしまったら「そこには何もない」という事実を目の当たりにするだけで何も感じることはできなくなるのだと。確かにそうかもしれない。

黄金色の尊さと美しさ

漆器と同じく、私は金色というものにも特に興味がなかった。ゴールドかシルバーか選べと言われたら、シルバーの方が好き。金はなんとなくゴテゴテしててどちらかといえば好きではなかった。

しかし金蒔絵を同じく、金色の魅力もまた闇の中でこそ発揮されるものだという。

諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。
その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P144

黄金色が闇の中で見せる“沈痛な美しさ”・・・すごい言葉だ。

現代の人は明るい家に住んでいるので、こう云う黄金の美しさを知らない。が、暗い家に住んでいた昔の人は、その美しい色に魅せられたばかりでなく、かねて実用的価値をも知っていたのであろう。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P145

私は金屏風というものはあまり見たことはないけど、言われて思いつくのは仏像。大きなお寺の本堂は昼間でも中は薄暗いけど、その奥に鎮座する大仏はよく見えたりする。黄金という色は暗闇の中でもぼんやりと光を集めるものだったんだなぁ・・・

あの金襴の地質とが、いかによく調和し、いかに荘厳味を増しているかが分るのであって、それと云うのも、蒔絵の場合と同じように、派手な織り模様の大部分を闇が隠してしまい、ただ金銀の糸がときどき少しずつ光るようになるからである。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P147

黄金色は十分な光の中ではギラギラしてしまう。でも暗闇の中ではぼんやりと光る。その淡くはかない輝きこそが金の魅力なのであると。

通常の照明
部屋の明かりを消した状態

京都で見た舞妓さん。最初はもちろん明るい照明のもとで。最後だけ、昔のお屋敷の中をイメージして照明を落とした薄暗がりの中で舞を踊ってくれた。

確かに後ろの金屏風は暗い中でもぼんやりと明るく光を放ってる。舞妓さんの着物にも艶が出てるような気がする。

舞妓さんは17歳!

伝統芸能と陰翳

日本の伝統芸能について、歌舞伎と対比しながら能楽の魅力を語っている。

私は色の調和が作り出すかくの如き美が他にあるを知らないが、もし能楽が歌舞伎のように近代の照明を用いたとしたら、それらの美感は悉くどぎつい光線のために飛び散ってしまうであろう。さればその舞台を昔ながらの暗さに任してあるのは、必然の約束に従っている訳であって、建物なども古ければ古い程いい。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P154

ここでもまた、その暗さに能楽の世界の奥深さを見出している。そこからさらに想いは時代をさかのぼっていく。

ところで、能に附き纏うそう云う暗さと、そこから生ずる美しさとは、今日でこそ舞台の上でしか見られない特殊な陰翳の世界であるが、昔はあれがさほど実生活とかけ離れたものではなかったであろう。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P166

当然ながらまだ電気もないような時代は、今よりもずっとずっと闇や陰が身近な存在だったはず。この随筆の中で描かれている美学は、現代の私たちにとっては憧れの世界であるけれども、古の人たちにとっては当たり前のものだったに違いない。

大阪の通人に聞いた話に、文楽の人形浄瑠璃では明治になってからも久しくランプを使っていたものだが、その時分の方が今より遙かに餘情に富んでいたと云う。私は現在でも歌舞伎の女形よりはあの人形の方に餘計実感を覚えるのであるが、なるほどあれが薄暗いランプで照らされていたならば、人形に特有な固い線も消え、てらてらした胡粉のつやもぼかされて、どんなにか柔かみがあったであろうと、その頃の舞台の凄いような美しさを空想して、そぞろに寒気を催すのである。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P169

暗闇がその正体を隠すから、ただの人形も人形としてではなく、命ある人間のような色気を帯びてつややかに艶めかしく見えるのかもしれない。想像すると確かにゾクゾクする。どこかでそういう文楽を再現していたりしないだろうか。

日本橋「水戯庵」で見た能楽

もちろん現代の私たちが見る能楽などの伝統芸能の舞台は、しっかりスポットライトが当たってる。陰もなく、舞台の隅々までよく見える。今まではそのことについて何の疑問も感じていなかったけど、確かにこれが蝋燭の薄暗い灯りの中で行われていたら・・・迫力は何割増しにもなるような気がする。

闇の中の女性

ここまで語られてきたような闇や陰と共にあった日本の美意識の中では、女性もまた闇の中でこそ、その美しさを発揮する存在だったようだ。

当時にあっては、中流階級以上の女はめったに外出することもなく、しても乗物の奥深く潜んで街頭に姿を曝さないようにしていたとすれば、大概はあの暗い家屋敷の一と間に垂れ籠めて、昼も夜も、ただ闇の中に五体を埋めつつその顔だけで存在を示していたと云える。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P179

女性ってそんな感じだったのか。個人的に思うのは、これはあくまで男性視点の美学なのではないかと。昔の女性たちは暗がりの中にいることを望んでいたのかなぁ。。。

そういえば昔の身分ある女性はなぜめったに外出しなかったんだろう

日本人の美的感覚

ここから最後のまとめ、みたいな。

われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。(中略)われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P183

物体そのものの美しさではなく、その物体がどんな環境にあって、どのように視覚化されるかが重要であり、そこに美を追求する。その発想は面白いと思う。それが可能なら、どんなものでも見せ方次第で美しくなるということだよね。

しかしわれわれは見えないものを考えるには及ばぬ。見えないものは無いものであるとする。強しいてその醜さを見ようとする者は、茶室の床の間へ百燭光の電燈を向けるのと同じく、そこにある美を自ら追い遣ってしまうのである。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P184

これもまたずいぶん思い切った考え方だと思う。見えないものは無いものであるとする、なんて。見えない部分をわざわざ見ようとする、その正体をすべて知ろうとする行為は粋じゃないようだ。

全くお門違いな例えだけど、恋人が浮気をしていたとしてもその事実を自分が目の当たりにしない限りは無いものであるということになるよね。自分の目に見えていないものを、わざわざ証拠を暴き出して白日の下に晒す行為は、自分で自分の首を絞めることになる・・・ということになるんだろうか。ならないか。

私個人的には、パートナーが浮気をしていたとしても、その事実や証拠を100%完璧に隠し通してくれるなら(墓場まで持って行ってくれるなら)全然オッケー。その事実を知る由もなければ私は平穏な気持ちで幸せに過ごせるから。って何の話だ。

失われた陰翳の世界

この随筆の最後は「現代はなにかと老人に優しくない世の中になってしまった」という愚痴に行きつく。1930年代の人たちもそういう風に昔を懐かしんでいたのかと思うとなんだかほほえましい。

いつの時代も人は変わらないんだなぁ

何にしても今日の室内の照明は、書を読むとか、字を書くとか、針を運ぶとか云うことは最早もはや問題でなく、専ら四隅の蔭を消すことに費されるようになったが、その考は少くとも日本家屋の美の観念とは両立しない。個人の住宅では経済の上から電力を節約するので、却って巧く行っているけれども、客商売の家になると、廊下、階段、玄関、庭園、表門等に、どうしても明りが多過ぎる結果になり、座敷や泉石の底を浅くしてしまっている

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P226

特に谷崎潤一郎が惜しんでいるのは、とにかく室内が明るくなりすぎてるということ。日本全国に電気が通うようになり、利便性を得た一方で、闇と共に風雅を失ってしまったと。

私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐のきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。

『陰翳礼讃』( パイインターナショナル)P242

現代の日本が失ってしまった古き良き陰翳の美の世界を、せめて文学の中にだけでも見いだせないだろうか、という願いを込めてこの随筆は締めくくられる。

最後に

めちゃくちゃ長くなった・・・

この陰翳礼讃で描かれている古き良き日本は、現代の私たちの日常生活の中ではほぼ失われてしまってる。どこかで体験できないかなぁ~と思ったら、文化財になってるような古い屋敷を見学しに行くくらいしかないんだろうなぁと。

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行ってみたいのは京都の「角屋もてなしの文化美術館」の二階座敷

公開しているのは1日4回、電話で事前申し込みが必要だそうで。

いつか行ってやる!

この記事を書いた人
ゆえじ ちゃんこ

中国茶ナビゲーター
中国茶&台湾茶の楽しさや知識・情報をまとめてます。
生涯淹れ手。
福建、香港、日本を拠点においしいお茶のいれかた研究中。
茶藝パフォーマンスもやります!
中級茶藝師。東洋食薬ライセンス1級。

中国茶が好きです!
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金持ち華人の家に嫁いでニート主婦になった純日本人です。ライブドア公式絵日記ブログ「中国でブルジョワ華人の妻してます」を運営中。

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